間違ってない! 〝ぜんぜん〟の使い方

 

「昨日までは首とかすごい痛くて走れなかったんですけど、今ではぜんぜん治ったので」

 

 

   さっきニュースを見ていると、おばあちゃんが一言。「ぜんぜん治った」って言い方、嫌いやわ。昔はそんな言い方せいへんかってんけどな……とのこと。

 

   確かに、“ぜんぜん”の後に続く言葉は『〜違う』『〜ない』などの否定を表すモノのはず。ぜんぜん大丈夫・ぜんぜんOK、みたいなのはおかしい!   と言うおばあちゃんは正しいと思ってしまった。

 

…………じゃあ、僕たちはどうして『ぜんぜん大丈夫』と言ってしまうのだろう?

   それをちょっと考えてみました。

 

   出て来た結論は何のことない、カンタンなことだと思ったのです。

 

「昨日までは首とかすごい痛くて走れなかったんですけど、今ではぜんぜん治ったので」

 

   これを「ぜんぜん治った」だと思ってしまうからおかしく感じるのです。

 

……つまり、

『昨日までは首とかすごい痛くて走れなかったんですけど、今ではぜんぜん(痛くないのです。)……治ったので』

 

   僕らは「ぜんぜん」と言った瞬間、その後に話し手が何を言いたいのかわかってしまう。そして、言わなくても伝わる言葉は少しづつ少しづつ、口にしなくなります。『おはよう』や『こんにちは』、『いただきます』などはその良い例だと思います。

 

   それぞれ、

「本日もお早うございます」

「こんにち  はいい天気ですね」

「○○の命を私の命にさせていただきます」

もはや原型もないくらい省略されまくってますね。

   

   よって僕の結論は、

『昨日までは首とかすごい痛くて走れなかったんですけど、今ではぜんぜん……治ったので』

 

   この「……」の中に色々なモノが省略されまくっているのでは?   と言うことですね。

 

   では、こんにち はここまでです。

僕は失恋した。

 

   僕は失恋した……とは言っても、随分前の事なんだけど。

 

   最後の瞬間、電話で別れを切り出された時、僕は何も言えなくなった。

   自分に自信が無かったんだ。君は“もういい”と言うけれど、それでも僕は好きなんだって。そんな言葉は、結局形にならないままだ。

 

   僕は理系で、君は文系。でも、本を読むのは好きだった。そう、ある日、作家になりたいと言う君が、心細げに悩みを打ち明けてくれた事があったっけ。

   曰く、「自分には、人の心がわからない」。

   曰く、「バスケットボーラーを描こうにも、彼らがどういう風に 何を思ってコートに立つのかわからない」。

 

   「彼らの想いも感覚も、ウチにはてんでわからない」

 

   慰めることしか出来なかったのは今でも鮮明に覚えていて、自信満々にうそぶく傍ら、僕は、ある決心をした。

   それは、僕自身が“資料になる事”。

 

   幸い僕は理系だった。好奇心だけは旺盛だった。だから、だから僕は、君の求める“感覚”を知る決心をした。

   僕が武術を修めれば、戦闘描写をしたいときの貴重な資料になるだろう。

   僕が科学を身に付けたなら、学者の気持ちもわかるだろうし。

   君のわからないところ、その手の届かないところはきっと、僕が拾えるはずだから……

 

   あらゆるものに手を伸ばし、好奇心のままに本を読み、僕の知らない“考え方”を持つ人の“感覚”を知るため夢中になった……でも…結局は、使わずじまいで終わったけれど。

 

   多分、自分に自信が無かったんだろう。それは、僕の悪い癖だ。自身をつけなきゃいけないと思う。「自信を持たなきゃいけない」とは解ってはいたけれど……ついぞ、やり方がわからなかった。

   もちろん、「今なら分かる」とは、まだ、言えない。

   でも、突破口は見つけた気がした。 上手く行くとは限らないけど、やる価値くらいはあると思った。このブログの発端も、ここにある。

   自分が信頼できないのは、しょうがない。だってそうなんだもの。でも、しょうがないなりに僕も変わってたんだって事、変われてたんだって事を象徴するような出来事があった。

 

   令和元年、五月十四日。

   日本維新の会のとある議員が「(北方領土を取り返すには)戦争するしか無くないですか?」と言ったとかいないとか、そんなニュースが流れた時だ。

   一緒にお昼を食べていたおばあちゃんが「こらアカンわ」って。どこがアカンの? と聴いてみると「戦争するとか言うたらアカン」って。

 

   疑問を感じた。

   不思議に思った。

 

   だって彼の発言は、どの方向から見たとしても「絶対の悪だ」と言えるようなものは含まれていないのに……

   事の経緯はさて置いて、彼の発言自体は何も悪いものはない。彼の発言をもう少し噛み砕いて表現すると、つまりはこう言う事だと思うんだ。

   「今ここには北方領土を取り返したい人たちがいるけど。“ビザ無し渡航”をこれ以上繰り返すことにどんな意味があるの?この“ビザ無し渡航”は1992年から始まって今年で27年目、その間に何が変わった?

   北方領土に住むロシア人たちに理解を促すことが出来たというけど、その先の展開は考えているの?

   自分達がおじいちゃんの代から住んでいる土地が本来は別の民族の土地だから出て行けって言って、追い出さなきゃ行けないんだよ。どんな綺麗事で覆っても、僕らの最終目標はそこなんだから。

   僕たちが彼らの立場に立った時、どう言う条件なら『立ち退いてもいい』って思う?自分達の故郷を差し出す対価に何をもらえば満足するの?」

 

———満足なんてするわけないでしょ———

 

   「北方領土を奪われた時、ソ連はどんな手段で奪っていったの?   交渉?   買収?

   違うよね。彼らは武力でもって奪い去ったんだ。それも、ポツダム宣言を受諾した後、僕たちが『降伏します』って言った後に侵攻してきた。無防備な日本人を虐殺したんだ。

   なぜ無防備かって?   当然じゃないか。反撃なんてしてみろ、どうなると思う?   降伏したはずの国の人間がなおも武器を取ことが意味するものは?

   考えるまでもないよね。そんな事をすれば“全世界が敵になる”。

   だからこそ、ソ連は日本の降伏を知っても攻撃をやめなかった。『ポツダム宣言は日本軍の武力放棄しか約束していない。つまり、我らソ連が日本人を殺してはいけないとは記されていないのだ』と。

   実際、当時満州にいた日本人女性たちはソ連軍人に凌辱されるしかなかった。まさに地獄だよ。自決出来た人達はまだ幸運だったのかもしれないけど」

 

   ここまでを踏まえた上で、北方領土を取り返すための具体的な戦略を考えてみると、

「(北方領土を取り返すには)戦争するしか無くないですか?」

 

   もちろん、彼の発言が軽率だったと言いたい人もいるだろう。しかし、彼の発言の報道の仕方によっては、「こちらには戦争すらする覚悟があるぞ」という意思表示にもなる。その上で安倍首相たちの外交努力に期待するのもありだ。

 

……

………なんて事をつらつらと喋った後でおばあちゃんが一言、「アンタ、戦争に行けるん?」

 

   「もちろん。大切な人達が虐殺されたりするくらいなら、行く。死んだ方がマシやわ」

 

   僕だってほんとうに、戦争が現実になれば怯える事くらいわかってる。家の中で死の覚悟が出来ても、実際の戦地で弾が飛び交う中に置かれたら、そんなモノ、どこかに飛んでいってしまう事くらいわかってる。人間なんて、何グラムかの鉛の弾一つで死んでしまうものだもの。

 

   でもね、自分に自信が持てなくて、去りゆく君に「それでも好きだ」なんて口が裂けても言えなくて、感謝の気持ちもついに言葉にならなくて。たったひとつ、「そっか」としか言えなかったかつての僕が、こんなバカみたいな事を口にできたのはきっと、そういう事じゃないかと思う。

 

   日本を、好きだと思えたこと。

 

   それがとても大きいと思う。

   武術を研究するうちに、昔の日本人の感覚を知ったこと。

   物理を勉強するうちに、現在の物理理論には重大な空白があると知ったこと。精神的なものごとの中に、解決のヒントがあるかもと探したこと。

   その果てに、歴史を学び、日本を好きになったこと。

   それは、“日本は凄いんだ”って事を知ったこと。

   

   でもね、僕はまだ、胸を張って声を張って「日本は凄い」と言えないままだ。日本の歴史にはたくさんのネガティブがあって、昔の日本人は悪かったって言う人達がいっぱいいる。

現に、僕のおばあちゃんもその一人。

 

   僕の戦いはこれから始まる。

   もういいって、「日本の未来なんてどうでもいい」って、「その前に死ぬからなんでもいい」って、そんな事を言うおばあちゃんに、いつか、“昔の日本人は凄かった”って言わせてみたい。一緒に、日本が好きだと叫びたい。

 

   そうすれば、今度こそ、自信が持てる……そんな気がする。

   だから、このブログでは、日本は凄いんだって事を僕なりに書いていこうと思う。

 

   いろんな問題もあるけれど、それでも日本は凄いんだって、やっぱり言ってみたいから……